補助という言葉のイメージ・・・
補助って言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージを持ちますか?
僕は「補助」という言葉から、自転車の補助輪を連想するのです。
子供の頃、僕は自転車に補助輪をつけていましたが、一日も早く「補助輪の無い自転車に乗りたい」と思っていました。
その後、僕が普通に自転車に乗れるようになったのは、補助輪のお陰だったのは間違いありません。もし、大人になっても「補助輪付きの自転車」にしか乗れない人がいれば、その人は「自転車に乗ることに向いていない」と誰もが考えるはずです。
さて、今まで自民党政権の下、“特定”の産業・団体や個人に対して多くの補助金等が投入され続けて来ました。
しかし、それらの団体や個人の方々は「早く自立しなければならない」という意識をちゃんと持っていたのか・・・、僕はきちんと検証しなければならない時期が来たと思っているのです。
勿論、頑張って自立した団体や個人の方々も居るでしょう。しかし、そうではない団体も沢山あるはずです。そして、それらの団体の多くが「手のひらを返すように自民等支持から民主党支持に寝返った」のであれば、なおさら検証をすべきなのです。
この検証作業は、国民に対して「特定の団体に対して、どのように税金をつかってしまい、結果としてどうであったか」を明らかにすることであり、自民党にとっても辛い作業になるはずです。しかし、「この部分の検証」に対して自民党が逃げるような姿勢を取るのであれば、もう自民党には「悪かったことをきちんと総括する勇気も根性も残ってない」ということであり、「党の将来は切望的」と言わざるをえないのです。
残念なことに、実際のところ「この部分の検証」を行おうとする気配すら、今の自民党本部には無いのです。党本部は「危機管理能力」が無さそうですし、「国民が何を求めているのか」も本当に知らない様ですね。自民党は「存続できるか・否か」という危機的な状況に陥っていることだけは間違いなさそうです。
国や自治体が「必要な所に補助金や税金を使う」のは当然のことです。しかし貰う側は“国民の方々”に対して「有難い」という感謝の気持ちを持つべきなのです。そしてそれらの方々には「貰えるお金は出来るだけ貰う」という甘い考えを捨て頂き、「出来る限り早く自立する」という信念と「補助金を貰い続けることは申し訳なく、恥ずかしいことだ」と感じる道徳心を持って頂きたいのです。そして、「国民を無視し“党の思惑”によって税金を使うことは、“道徳心”に恥じる行為である」ということを、我々“政治家”も肝に命じるべきなのです。
僕は「この国の財政」がこのような状態になった原因の一つは「この部分」にあると思っているのです。
全てがこの話に当てはまらないのは僕も承知をしていますが、それでも今の日本における「モラルの低下」は目に余るものがあります。
【追伸】 11日の金曜日から今日の13日まで、帯広において「北海道高等学校バレーボール新人大会」が開催されていました。僕は「帯広バレーボール協会」の会長として、開会式で挨拶をしました。