原子力報道についての封書
今日は久しぶりに札幌に来たので道議会に顔を出しました。さすがに会議が無い日の道議会は、議員が殆どいなく、がらんとしています。
机の上にも、いない間に机の上に置かれた書類が山の様になっていました。
毎回この繰り返しなのですが、全てを読める量ではなく、パラパラと書類をめくって、大事だと思う部分だけ保管したり、ゆっくり読んだりします。
最初の頃は頑張って全部読んでいたのですが、そのうちに、半分以上の書類が「重要ではない」書類だと気づいたので、この方法で書類に目を通すようになり ました。たいして重要ではない書類があれだけあるということは(今、道議会は108名なので、あれが108倍あると思うと気が遠くなる書類量です!)いか に無駄が多いのかと思ってしまいます。大切な資源である「紙」ではなく、何かの記憶媒体で配布するとか、どこかのホームページ等からダウンロードするとか いう方法はとれないのかなと考えてしまいます。
「紙でなければだめだ」という議員もいると思いますが、そうでない議員もいると思うのです。これだけでも結構、人件費や費用を縮減出来るのではと思ってしまう書類量なのです!
さて、前置きは長くなりましたが今日書類の山の中に、「おやっ?」と思う封書が来ていました。差し出し元は「原子力報道を考える会」でした。
最初、また一方的に「原子力反対!」という「左寄り」の封書かなと思って封を開けたのですが、この予感は全くはずれました。内容は「原子力に関する報道 は中立でなければならないのに、恣意的に視聴者や新聞読者が、マイナスイメージを受けるような報道に偏っている!例えばドイツが脱原発をしたときには大々 的にこれを取り上げ、スイスの国民投票で脱原発法案が否決されたことは非常に小さな記事である!記事にするに値しない小さな原子力発電所の事故が異常に大 きく扱われている・・・等々」ということが書かれていました。
僕も全くその通りだと思いました。僕も手放しで原発に賛成をしているわけではありません。原子力は取り扱いに細心の注意を払う必要があるのは当然なのです。その上でエネルギーを考える必要があると思うのです。
東京電力の原子力発電が停止したときに、2002年度に排出した二酸化炭素が2%増加したそうです(このことはあまり大きく取り扱われなかったとのことです)。
地球温暖化になったら誰が責任をとれるのでしょうか?原子力発電にはメリットもデメリットもあります。それを公平に報道する必要性と、これからの地球環境を考えた大きな視野に立った議論が必要だとこの封書を読んで再認識しました。
この会の構成員に、朝日新聞の元科学部長も読売新聞の元論説委員も名を連ねています。このような見識のある方の声を聞き入れることの出来る「マスコミ」へと日本のマスコミが進化していくことを願って止みません。
これが僕のところに着いた「原子力報道を考える会」の封書です!