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北海道の教育って大丈夫?

2010 年 10 月 12 日(火)23:11 | 日記 | 6 Comments |

 昨日、僕はブログで“中国の免許で道内をドライブできる”というとぼけた特区申請の件を書きましたが、僕は昨日大変驚いた経験をしたのです。僕はどうしてもこの件のブログも書きたいので、本日のそのことについて書きます。

 僕は昨日「帯広市スポーツ賞・スポーツ功労賞の表彰式」に出席をしました。実は僕が会長を務めているバレーボール協会からも帯広南商業高校の女子バレーボールチームもスポーツ奨励賞を受賞しており、いつも以上に意気揚々と表彰式会場に向かった僕でしたが、この会場において僕は驚く光景を目にしたのです。

 昨日の表彰式のひな壇には、スポーツ賞・スポーツ奨励賞を受賞した27名の方々が座っており、その多くは中学生と高校生でした。そして式典の国歌斉唱時に僕は大変驚いたのです。27名全員が起立をし国旗に向かい国歌を斉唱していましたが、その中の24名の方は式典パンフレットに印刷された君が代の歌詞を見ながら斉唱をしていたのです。

 僕は「帯広市の殆んど全ての中高校生は歌詞を見なければ君が代を斉唱できない」という事実を目の当たりにし、愕然としたのです。当然、僕はこれらの生徒を批判する気などさらさら無く、逆に「彼らは帯広市の小中学校の教員からきちんと国歌を教えてもらえなかった被害者だ」と考えているのです。

 帯広市の教職員は“昨日の表彰式で全ての中高生が歌詞を見なければ国歌を斉唱できなかった”という事実をどのように考えるのでしょう。教職員は「学校において国旗・国歌の強要は決して許されず、生徒に国歌を教えなかったのは当然だ」と開き直るのでしょうか。それとも文科省の学習指導要領を意識し「教えようとしたが時間が足りなかった」と逃げるのでしょうか。

 さて、僕が「昨日の中高生は被害者だ」と感じてしまったのには理由があるのです。一つ目の理由は、昨日の式典においては彼ら全員が自発的に起立をし国歌斉唱をしようとしていたにもかかわらず、歌詞をきちんと教えてもらえなかった為、ひな壇において歌詞を見ながら斉唱せざるを得なかったからなのです。僕はそれを見て率直に「生徒が可哀想だ」と感じました。二つ目の理由は、僕は「彼らこそ教育現場において偏った思想を押し付けられている被害者ではないか」と思っているからです。僕は「国歌斉唱をしたいと考える学生ですら、誰一人として歌詞を覚えられていない。これは学校できちんと国歌を教えていないからではないか。“日の丸・君が代は絶対に認めない”という一部の教職員の思想を児童・生徒に強要することも大問題ではないのか」と教職員に聞いてみたいと思うのです。

 さて、昨日の表彰式の主催者は“帯広市教育委員会”であり、市の教育行政の主だったメンバーや多くの市議会議員が出席をしていましたが、これらの方々は昨日の出来事から何かを感じとったのでしょうか。

 万が一、昨日の出来事に気付かずに簡単にスルーしてしまうようであれば、僕は「帯広市における教育行政には大きな問題がある」と指摘せざるを得ません。この件に関しての議論が帯広市において起こるのか、全く起こらないのか・・・、果たしてどっちなのでしょう。僕はこのブログのアップをちょっとずらしてでも、様子を見ることにしました。

コメント

  1. しまりす より:

    知人の姉が北海道で教師をしていますが驚く事に”韓国によく行く”ことや”竹島は韓国領”と言っていたり”日本駄目じゃん”という事を耳にしました。どんな思想を思っているのか黙って聞いていましたがこの人は韓国人かと疑ってしまう程です。日教組の影響が北海道は非常に強いのではと思います。
    北海道に限らず、関東でも君が代の歌詞がわからない児童・生徒が多くいます。
    歌詞を知っている場合では君が代の”君”が”天皇”を指すとしてけしからんと教えています。
    ”君”が”天皇”であったとしても国家元首である天皇が永遠にあるならば日本は外国に侵略されていないということでもあり平和であり続けます。
    私も最近まで知りませんでしたが君が代はとても古くからおめでたい時などに歌われ誰が誰に歌ってもよい歌だとわかりました。
    このように学校で教わっている子供は皆無だと思われます。

  2. 柏倉 より:

    小野寺道議、お疲れ様です。

    わたくしの小二の息子は、きちんと『君が代』を習いましたので、そらで歌えます。
    さらに「遠い遠い昔の、恋の歌である」と教えられたそうです。
    小学校時代に一切教えてもらえなかったわたくしは、息子の担任の先生にとても感謝しています。

  3. 北海道人 より:

    高校生の時に、先生方の対立をみていましたがおもしろかったですよ。
    授業の場で対立している先生方の批判を遠回りに延々としていたり。
    行事等で国歌斉唱が流れたら、一部の先生は座ったまま沈黙。
    近くの先生は、歌わなくても座ったままでもいいんだよ。
    と私に言ってましたが、私は無視しました。
    一方の先生方はちゃんと歌え!しっかりしろ!と怒鳴りちらしていました。
    座ったまま沈黙していた先生は終わってから言い訳するように 個人の自由を主張していました。
    その個人の自由を主張していた先生方のほとんどは、生徒に手をだしてそのまま結婚。
    生徒に馬鹿にされていました。
    職員室はいつも雰囲気悪かったですよ。

  4. こに より:

    私もかつては君が代を歌えませんでした。小学校で一度きりしか習わず、中学校ではその存在さえ無視され、高校では先生が退席する姿(市立高校なのに!)を見てきました。

    まるで歌ってはいけないかのような錯覚を持っていました。
    その呪縛から解き放たれたのは最近なんです。

    何とかしないと、と考えてくれた議員さんは今までいなかったのでしょうか。怒りすら覚えます。

    同世代の十勝っ子が、大人になったいまでも歌えない人が多いのかな、と思うととても悲しいのです。

  5. A5 より:

    いま出張先のホテルで、「男たちの大和」を見ていました。
    お酒を飲みながら見ていたせいもあり、父の死と同じくらい泣きました。
    戦争もいやです。死にたくないです。でも、大事な人を守るために必要であれば頑張らなくてはならない。

    国って何なんでしょうか?国歌・国旗だけなのでしょうか?
    グローバル化の中では、世界の中で日本を誇りに思わないとやりあえません。
    新渡戸稲造の武士道を勘違いしている人がたくさんいます。
    海外の人に対して、日本人を理解してもらう為に英語で書かれた本です。
    今出回っているのは武士道の日本語訳です。
    先生たちは生徒たちに対し、国歌・国旗を否定し日本を否定したいのでしょうか?
    反日の日本人という言葉を先日聞きましたが、グローバル化の中での日本人とは何なんでしょうか?
    小学校での英語教育より前に、日本の文化、日本人としての道徳を見直さないと海外に対して恥ずかしいことになります。

    また、過激かな。。。

  6. やばいおっさん より:

    国家が演奏されても生徒は起立し沈黙,教師は大半が座ったまま。こんな学校・教師に子どもの教育を任せていては,日本人としての自信・誇りを持った人間に育つ分けがありません。せめて入学式・卒業式に集まった父母・保護者だけでも歌うようにしたいものですが,私以外に歌っているのを聞いたことがありません。歌う人が増えれば子供たちも歌うようになると思うのですが。君が代を歌う人達が固まって座ったままのバカ教員どもの後ろで大きな声で歌うのはどうでしょうか。
    君が代の「君」天皇陛下のこととしても何の問題があるのでしょうか。日本の中で一番,国民のことを心配し,国民の安息を願って下さるかたは天皇陛下,皇后陛下です。国民の一人として,その天皇陛下に敬意捧げ,国旗を掲揚し国家を歌うことを否定する人間が子供たちを教育しているということは本当におぞましいことです。国営放送が天皇陛下を戦犯扱いする番組を放送するような国では,政治,教育をまともな国民のものに取り戻すのは大変時間がかかることかと思いますが,身近なところから少しづつ変えていくのも大事なことだと思います。
    小野寺道議,みなさん頑張りましょう。

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