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僕の宗教観について

2004 年 8 月 12 日(木)23:35 | 日記 | No Comments |

 今日は、お盆休み前の最後の出勤です。(が、お盆中も事務所に来て仕事をしようかどうか悩んでいます。結構やることも調べることも残っているのです・・・)

 今日は帯広神社に行って「先亡者合同慰霊祭」に出席をしました。昨年もあったようなのですが、どういう訳か今回が初めての出席になりました(帯広神社の為に活動をされた方にお祈りを捧げるというものでした)。

 この慰霊祭に出てずっと考えていたのですが、僕の宗教観について今日は書こうと思います。僕は、キリスト教(カトリック)なのです。しかし、キリスト教(神)を信じているかというと信じていないと思います(このような書き方をして、非常にお怒りの方もいるかも知れませんが、正直に書きますのでしばしお付き合いを・・・)。


 もし、神様がいるならみんなの前に現れてしまえば話は早いのに、何故そうならないのか不思議です。キリストがいた時代の人はキリストにも会えて、実際に奇跡を見ることができたのなら、それは本当に信じるかも知れませんが、キリストが実在する時代とそうでない時代の人とでは、信じ方に「格差」が生じますので、「公平」ではないとも思っています。また、宗教同士の対立が原因で戦争がいたるところで起こっている状況はどう考えてもおかしいと思いますし、お互いの神様が登場して、和解すればよいのにと思ってしまうのです(まあ、こういう「難癖」にも色々な説明があると思うのですが・・・)。

 僕が入信(?)したのは幼稚園時代のことで、それこそ何が何だか解らないままにキリスト教信者になってしまい、いまもその状態が続いていると言っても良いでしょう・・。しかし、僕は「宗教」は必要だと思っているのです。相反する考え方かとお思いになるかも知れませんがそうでもないのです。

 僕は、神様自体の存在を「全肯定」することは出来ませんが、祖先を敬う心は絶対に必要だと思っているのです。そして、その人があるもの(宗教)を信じて亡くなったのならその宗教のやり方で、死後も敬ってあげればよいと思っています。そういう意味で「宗教」は必要だと思っています。宗教によって、人生の意味を知る方も、人生が豊かに変わった方も、死への恐怖を和らげた方も、多くのプラスの面があるのなら、それは素晴らしいことだと思いますし誰も否定することは出来ないと思うのです。(しかし一方で、本来の宗教とはほど遠い「金儲け主義」の宗教や「うさんくさい」宗教というものが沢山あるのも問題ですよね・・・)

 ですから、僕は今日のように「神社」の慰霊祭にも出ますし、「靖国参拝」も理解できます。僕にとってはどんな宗教理念よりも「祖先を敬う」ことが一番重要なことなのです。そんなことを考えながら、今日の慰霊祭に参列をさせて頂きました(年に一回、クリスマスしか教会に行かない罰当たりな信者が偉そうなことは申しません・・)。

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予定外に「来賓挨拶」がありびっくりしながら「慰霊祭」でしゃべっている写真です!

追伸 どうしたんだ!男子サッカー。折角夜中に起きて応援をしているのに、パラグアイにこんな負け方をするなんて・・・。決勝リーグに残れそうもないな・・・。がっくりして眠れません・・・。

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